紹介 コーヒーの科学

 

植物学、含有成分、トレードの歴史、ドリップ方式といった、コーヒーのすべての分野を網羅する意欲的な本である。マニアックな知識にクラクラしながら読み進めたが、あまりに微に入り細に入り書かれているので読み疲れたことは否めない。喫茶店のマスターのように、もともとコーヒー愛好家で知識がある人がよりコーヒーを深く知るために手に取るべき本だろうと思う。個人的には内容が濃すぎるので(コーヒーだけに?)分冊にしたほうがよかったのではなかと思った。

 では得るものはなかったかと言われるともちろんそんなことはなく、第1章から第3章でコーヒーの基本的な知識を整理しており興味が持てた。また、品種や豆の構造など植物学的な知見や、コーヒーと世界史のつながり(イエメンからの栽培の流れ)は端的にして興味深い内容だった。コーヒーさび病の発生と世界経済がつながっていることも面白かった。

 一方、焙煎中の化学変化についてはまったくといっていいほどついていけず、読み下すのに苦労した。この部分は辞書的に使うしかない。ただし、焙煎中に相当複雑な反応が絡み合って進行していることはよく理解できた。これだけ微妙な反応なら焙煎する人の腕一つでテイストが変わるのもうなずける。

 著者は現役の医学者ということで、文章もうまく、出典も明記されている点はよかった。ただし、もう少しユーモアがあればマニア以外にも読みやすかったかと思う。

紹介 ケーキの切れない非行少年たち

 

 過去のベストセラー。自分に直接関わらないことなので気楽に読みすすめることができた。罪を犯す少年が周囲の状況を正しく認知することができない障害を持っていることがよくあるという。その証拠を表紙にもあるような図として突きつけられると確かにインパクトがあり、その境遇に考えさせられるものがある。犯罪は許せないが、学校で認知が歪んでいる徴候を教師が把握していればなんとかなった事例もあったかもしれない。著者は自己評価の向上を目指す認知機能トレーニングを開発して普及につとめているという。

 印象に残ったのは「反省させること」や「褒める教育」に対する著者の批判的なスタンスである。まさか少年院とは一緒にできまいが、私も学生指導の中でやる気があるのに研究を組み立てることができない学生が一定数いることを実感している。それも学業は優秀なのにである。「能力不足」や「研究に不向き」とばっさり切り捨てればいいのかもしれないが、なにがわからないのか聞いても答えてもらえず、ついキツい口調で「反省」させていたときが多かったように思う。また、なかなかやる気が出ない学生には「褒めて伸ばす」ことを試すこともあるが、実際は逆効果かもしれない(よく理解できない実験を成功させて褒められてもうれしくはないだろう)。

 そういうわけで、自分にひきつけて考えると、相手を考えているつもりで色々足りない部分はあると思う。ではどうしたら研究の基礎的な部分や面白さを知ってもらえるのか、まだ悩む日が続きそうである。いろいろな引き出しを持つようにはなりたいが、それは簡単ではない。

 

紹介 音盤紀行

 

 私の最近の書評が小難しいという感想をもらったので今回は漫画の話。最近は店頭の漫画も知らないものばかりなのでなかなか読めないが、衝動買いすることもある。最近の漫画では『ウマ娘』の発想が抜群に狂っているのでいつか読みたいが、自分で買うと人としてのランクが下がる気が勝手にしているので(自意識過剰)そこは意地でも買わない(漫画は紙で読む派)。そういうわけで自意識が傷つかない範囲で売れ線でない漫画を探すことになるのだが、こういう消去法で買っていくので外れることも多い。買いたいものを買えばいいのに。

 まあレコードの漫画なら無難だろう、この表紙の細い線で細かく書き込むのは鶴田謙二や植芝理一みたいで嫌いではないし書店員に変な顔もされまい。第一、私は小学生くらいまではレコード世代であるので懐かしい。1巻とあるので長編かと思ったらスターシステムの短編集だった。世界観はいいが少し画力が追いついていないような気がする。『電信航路に舵を取れ』の話では主役二人の髪に似たトーンを使うので少し混乱したぞ。青騎士コミックスって最近よく聞くけど正体がよくわからない。

 そういうわけで期待した長編ものではなかったが、読了して学生時代に読んでいたアフタヌーンのノリを感じることができたので漫画もたまにはいいものだと思った。

 

水彩練習中

紹介 性の進化史

 

 Y染色体の由来と退化について述べた本である。細胞遺伝学の知識がいるので読みこなすのが大変だったが興味深い内容だった。

 現代人は精子の数が激減しているという。進化を学ぶ者としては一夫一妻が一因であり(他者との精子競争がなくなった)、このような退化を生み出したという説について興味を持った。この説は自明なのだろうか。これは昆虫や他のモデル生物で検証できそうである(実際に一夫一妻と一夫多妻を選抜する実験はモデル生物でやられている)。

 また、現代では高齢出産の代替医療のためメスの体内で精子競争が起こる機会が少なくなり、能力の低い精子でも試験管で受精できてしまう。このことも精子の受精能力を減退させるという。こちらは私は要因としてあるような気がする。

 いずれにせよ、論文によって、また場所によって精子の減少傾向は違うので、いくつかの要因が関わっていることは間違いないだろう。

 背景として、精子の能力はY染色体に一部がコードされているので(25ページ)、精子競争がないならY染色体の精子に関与するリージョンにエラーがたまっていくということらしい。したがってY染色体が劣化すると述べているが、ここで言う劣化の意味が少し曖昧かもしれない。途中からY染色体がだんだん短くなって最後には消滅するという内容なので、まだ少し混乱している。

 本書の内容はきわめて多岐にわたるので、私の不完全な知識で紹介するのはやめたいと思うが、Y染色体の劣化(あるいは消失)ということがここまで大きなテーマであるということを知っただけでも有意義だった。

 最後に、やはりこの著者もというべきか、「種の保存のために」という信念の「インプリンティング」から抜け出ていないように感じる(59ページ)。「性の進化史」を執筆する生命の研究者でもこれなのだから、学生については仕方ないと言えるのかもしれない。216ページのエピジェネティック遺伝もメンデル遺伝と対立させて述べているように見えるが、進化論の範疇としてモデル化することは十分可能であろう。安易にラマルクの例えを持ち出さないほうがよかったように思う。

紹介 魚毒植物

 

魚毒植物

魚毒植物

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 毒を水に流して魚を取る漁法がある。かつては全国にあったらしいが、無差別に水圏生物を殺すので現代では禁止となっている。この本は琉球列島を中心にリサーチしてどのような植物がどのように魚毒に利用されていたかを調べた本で、民俗学的に興味深いものだった。この漁法をアクティブにされていた方々とお話できたのは本当にギリギリのタイミングだっただろう。私はイジュ、ルリハコベ、デリスという植物はあまり馴染みがないが今後は注意したい。またアダンもかつては魚毒に使われていたということで、歴史に思いを馳せる。さらに魚毒は海でも使われたということも新鮮で、タイドプールにとり残された魚やタコを魚毒を沈めて取るというのはなるほど、物質がうまく拡散するので理にかなっているだろう。とった魚が変色しないようなtipsがあったそうだ。

 評価されるべきは日本で使われた植物を一覧にしていることで、文献リストもあり資料的な価値が高い。意外だったのは、普通は毒草として認識しない植物が魚毒として使われていたことである。たとえばサンショウ程度の毒で魚が取れるものだろうか。他にはイジュやエゴノキのサポニンが使われたようだ。これらに含まれる配糖体は界面活性剤の働きを持ち、かつては洗濯にも使われたという。たまたま、私の実験で使う野外植物がサポニン含有としてリストされており、意外なところで興味がつながった感じがする。なお、余談ながら文明の発明である青酸カリを海に流して魚を捕ったというが、これは全くいただけない。

 あとは、魚毒を得るために木本の移動が島の間で行われたのが意外だった。島の間での(今となっては意味を失った)植物の移動に人間が積極的に関与した例として興味深い。

 著者はゲッチョ先生こと盛口先生。生物スケッチの名手であり、この本にもふんだんに種々の植物図が登場し、その芸の細かさを見るだけでも一見の価値があるだろう。惜しむらくは植物名の索引がないところか。

紹介 津田梅子

 

 正直なところ津田梅子は津田塾の創始者という程度しか知らなかったが、この本でだいぶ考えが変わった。生物学者としての素養を持ち、染色体地図のモーガンの薫陶を受けて共同研究をしており、アカデミズムへの道に誘われながら固辞して帰国して塾を設立した経緯は華々しいものである。岩倉派遣団から10年もブリンマー大学にいたせいで、その後も日本語はあまり上手には話せなかったそうだが、日本とは違い男女平等の進んだアメリカでの生活は刺激的だったに違いない。逆に封建的な日本社会はひどく生きづらかったことだろう。

 ブリンマー大学は良妻賢母の教育ではなく、学術でも活躍できる女性を育成することに力を入れていた。おたまじゃくしの第一分裂のときにすでに左右性が決定されているという萌芽的研究をしたのがモーガンと津田梅子であるというのは驚く。大学から残るよう声がかかったのを蹴ったのは何とももったいないと思うが、本人なりの使命感があったのだろう。

 帰国後は生物学を専攻したということすら限られた人にしか明かさなかったという。東大の箕作先生とは多少の交流があったそうだ(箕作先生は卵寄生蜂「ミツクリタマゴバチ」で知られる)。だが、なぜか結局アカデミズムに戻ることはなかった。

 津田梅子の伝記が出版されるにあたり、モーガンはお祝いの言葉を述べている。「あなたはなんと偉い人になったのでしょう!」という褒め言葉だが、多少の皮肉を感じてしまう。津田梅子が日本に帰らずにアメリカで発生学者となる世界線を見たかった気もする。もちろん、その場合は日本の女子の学問の間口は狭まっていたわけだが・・・。

紹介 フォン・ノイマンの哲学

 

 この本はノイマンの理論は最小限に、彼の社会とのつながりや人間関係、政治的活躍に焦点をあてた(ややゴシップめいた話も多い)読みやすい新書であり、WWIIや冷戦時代の研究背景がわかる好著となっている。

 エルデシュやゲーデルのように天才はしばしば孤立するものだが、ノイマンは卓越した少年時代から決してそうならないように上手に振る舞っており、学校でも集団から浮き立つようなことはなかったという。もともとの生まれが商売で成功した裕福なユダヤ人一家だったというバックグラウンドがなせる技かもしれない。なお、祖父も8ケタの掛け算を暗算できたそうで、ノイマンの才能には血筋もあるのだろう。

 祖国ハンガリーを捨てた経緯も書かれているが、ベルリンに進学した多感な頃に、ナチスが英雄的存在であり、ノイマンも尊敬しただろう化学者ハーバーをユダヤ人という理由で追放したということが影響しているらしい。後年の彼の(映画「博士の異常な愛情」で茶化されたような)ソ連嫌いは、少し鬱屈した愛国心に原因があるのではないかと著者は推測している。

 あまたの分野に業績を残したが、生物と一番関係するのはゲーム理論だろう。彼はゼロサムゲームを定式化するなどの業績はあったが、パイオニア的な研究をしたあとはけっして一箇所にはとどまらなかったので、この分野の貢献は後世の研究者に委ねられた部分が多い。

 ナチスの台頭と前後して、上手にアメリカに渡り、プリンストンで研究室を構えるようになるが、この移住も時流を見定めるしたたかさが見える。アメリカは理想的な研究状況だったようで、運転免許もとって謳歌していたようだが、数学の考え事や、下手をしたら論文を読みながら運転したので事故率が尋常ではなかったらしい。それでも無事なほど、のどかな時代だった。

 コンピュータの開発への関与、原爆開発と投下計画、冷戦下のソ連への爆撃を勧めたことは有名であり語ることは多くないが、以外な人物との接点もあり飽きさせない内容となっている。

 読後の感想は、天才であったことはもちろん、社会の時流を見定めるに非常に聡かった人物、そして理論に合わないと見抜いたものに対してはなくてもいいという冷酷さも持った人物だったということだ。本書のあとがきで「ノイマンは・・・「科学者」や「研究者」の範疇にとどまらない「実践家」だった。」とあるが、これが一番よく私の感じたことと一致しているように思う。

紹介 そもそも島に進化あり

 

 筆者は鳥類学者ということで、島しょ部での鳥の進化に期待して購入してみた。一読した感想は・・・ちょっと期待したものとは違うかな。このタイトルだと正当な島嶼生物学を想像するのだが、むしろその記述は少なく、筆者の趣味が全面に出たエッセイの色が濃い。筆者自身の研究を知りたかったのだが、その点は少し肩透かしの感があった。また、例えが突飛すぎてついていけないことがある。たとえば固有種の形成過程について座敷わらしと河童を例にしているのだが、このあたりはどー考えても普通の種で説明したほうがわかりやすい。

 これを言うのは憚られるが、1ページに3つぐらいあるギャグが盛大に滑り散らかしているように思う。そのため内容は常識的なことを言っているにもかかわらず、全体的に読みにくくなっているのが残念だ。最後では保全について考えさせられることを言っているのだが、なぜガンダムのザクやスター・ウォーズのライトセーバーの脚注が必要なのかわからない。集中力が削がれるから真面目なところでは真面目になりましょうよ。

 とはいえ島への思い入れは伝わったし、島がマクロからミクロのスケールで身の回りの至るところにあるという考えは共感できる(私の住む高知も、俗に「陸の孤島」と呼ばれ交流の制限から古くから独自の文化が育まれてきたところである)。植物の葉に寄生するダニを観察していると島のイメージはよく感じる。飛翔性のチョウやガにとって隣の植物は同じ場所に生えているが、ダニにとっては現在地から遠く離れた島である*1。同じ生物でも分散範囲は進化を考える上で大事であると思う。

 細かいことだが、「生物学での進化とは、個体に帰属する現象ではない。あくまでも集団が単位となる」(p.122)との表現はいただけない。前後の文脈から個体レベルの成長のことを進化とは呼ばないということはわかるが、ナイーブな群淘汰を連想させるものであるから啓蒙書という性質からみても注意してほしかった。

 まずはこの文体が合うか合わないかが評価の分かれ目となるだろう。Amazonでは好意的であるので、こういうのもいいのかな。

*1:この考えはLevins(1968)のcoarse-grainedとかfine-grained environment に相当するだろう

紹介 図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?

 

 自分の専門でも「なんとなくこうだから」という説明をせざるをえないことがある。学生と一緒の野外採集で「こういうのはいかにもEotetranychus」とか言っても、学生からすればチンプンカンプンであろう。どうしてもうまく言語化できない。

 この本では、実際に図鑑をひいてみることで「目ができて」、それまで同じように見えていたシダが違って見えるようになったことが序盤で書かれている。この本の読者は生物好きな人が多いだろうから、「あるある」と感じるところがあるのではないか。図鑑を二冊使うのがおすすめというのも参考になった。

 5章ではハエトリグモハンドブックへのこだわりが書いてある。M修了後に当時の既知種105のうち103を撮影とは恐れ入った*1。執筆したハンドブックでは場所ごとに分ける工夫がしてあり、家の中なら大胆に3種に限定しているらしい(持っていません!)。いわれてみれば、珍しい色や形の虫を発見したときはどこで見たり採ったりしたというのが一番印象に残っている。そこに注目したのはいい点だと思った。クモは指標動物にもなるくらい環境条件との結びつきが強いからできることだろう。そのぶん、ハンドブックという性質上、分類体系との一貫性を犠牲にするのはやむをえないだろう。植物図鑑でも、採取場所や葉の形や付き方に注目した本のほうがわかりやすい。「これはムクロジ科だけどなんだろう」という人はハンドブックはひかないだろう。

 この本の白眉は第6章だろう。全く未知の虫をポンと出されて、それを実際のキー(検索表)で同定するという「苦行」の追体験をすることになる。このプロセスを楽しめるかどうかで素養があるかどうかが決まると思う。私は「誤植です!」のあたりで絶対に投げ出すだろうなと思った。「解脱」に至るまでの道は遠そうだ。

 さて、びっくりされるかもしれないが、私が材料としているハダニ属の検索表は未完成で、近縁種を毛の相対長(たとえば胴背毛AとBの起点間の距離よりAが長い)で見分けるしかない。これだとプレパラート標本が乾燥して縮退すると種が変わってしまう(!)のだが、他に決定的な違いはない(少なくともユーザーにわかりやすいようには)。だから、検索表があるといっても「なんとなくこうだから」というのと実はあまり変わらない状態なのである*2。昆虫やクモのように変異が大きいのが羨ましい。

*1:ダニ類は日本産のハダニ科だけでだいたい100種程度なのでクモは意外と少ないのかと感じた。それでも大変さには変わらないが。

*2:非難しているように聞こえるかもしれないが、私が共著者である。