父が読んでた文藝春秋をぱらぱらとめくっていたら、ポスト小泉はだれがいいかを各界著名人に聞く、という記事があった。やっぱり右傾化した意見が多いなあ、と思いながらページをめくっていたら、竹内久美子が石原慎太郎を推している文章が目にとまった。石原慎太郎を推すのは別にいい。他にも数人いる(文藝春秋にしては意外と少なかった)。問題はその理由である。あまりに馬鹿なので、全文を引用しよう。
生物学的観点の導入
竹内久美子(動物行動学研究家)
石原慎太郎
皇室が、男系の男子を天皇とすることの生物学的意味について、皆さんご存じだろうか。
それは、男にしかない性染色体Yを、ほとんど変わらない形でつなぐということである(ほとんどと言うのは、稀に突然変異が起き、少しは変化するから。他の染色体は交差によって遺伝子の組み合わせが変わり、純粋な形では継承されない)。
実は、日本の皇室が成し遂げているのは千数百年にもわたり、ほとんど同じYを受け継いできたということなのである。そして我々が直面しているのは、千数百年もの間純粋に受け継がれてきたYを、今、跡絶えさせていいのかという問題なのだ。
この問題は、愛子様が即位され、旧宮家などの、皇室伝統のYを受け継いだ男子と結婚、男子をなされれば回避される。過去の女帝たちもこうした中継ぎとして即位されたのだ。
私は一昨年、石原氏と対談する機会があったが、皇位継承問題に生物学の観点を取り入れられる政治家は氏以外にはないと感じた。
なぜ首相人事が皇室問題になるのかよくわからないが、そうだとしても竹内の言うことは単なる言い換えにすぎない。じゃあ「Y染色体を受け継がせることの生物学的意味」は何なのだという話になる。何より腹立たしいのは、「生物学的意味」を真面目に考えようというのではなく、文藝春秋の読者相手ならこの程度のこじつけで十分だろう、という打算を感じる点である。それともギャグのつもりなのだろうか。それにしては不謹慎だと思う。
このような意見もどきよりも、立川談志のほうがよほどましだろう。