保全は科学になるか

というテーマでけっこうな長文を書いていたのですが消えました。結論を申しますと、保全生態学の研究者が万人に共通する獲得目標を提示しないことには科学になりえないだろうということです。しかし、工藤さんが次回の『生物科学』で論ずるように、その獲得目標を統一することは大変難しいことと思います。明確な獲得目標(工藤さんの言う従属変数)というものがなんらかの尺度で提示できれば、それに対する人間の「最適な」行動(工藤さんの言う独立変数)というものは提示できると思います(ただし、万人の基準から集約された尺度を守ることを保全と呼ぶかどうか・・・)。保全生態と銘打つからには、その獲得目標(尺度)を提示してほしい。そうすれば、私個人としてはそれについて考えることにやぶさかではないし、全体的にも科学的なアプローチができると思います。現在のところ、『保全』の目指すところがよく見えてこないので(人によって守るべき対象が異なる)、私は面食らっているのです。
 私の周りには保全生態学嫌いが非常に多いので、私の考えもどうしてもそちら寄りになります。保全生態学サイドに意見があれば聞いてみたいのですが。
  
 たとえば、手稲山の自然を守るための人間の最適行動。「自然」という部分をきちんと定義すれば科学になるだろうと思うのだが。それを「保全」と呼ぶかどうかはともかく。工藤さんは「最適行動=人間全体が首をくくる」と言うのだが、人間が人間らしく生きていくという条件をつけた最適解なんてないもんですかね?