図書館への返却期限が近いため、後半部分は超特急で読む。

赤の女王―性とヒトの進化 (翔泳選書)

赤の女王―性とヒトの進化 (翔泳選書)

(感想)
 筆者のいいたいことを一言でいえば、人間の多くの形質や行動は性選択の結果だということである。
 この本は、前半と後半の内容がかなりはっきり分かれている印象がある。前半は「なぜ性があるか」という問題に関しての一般的な学説をまとめている。もう少し具体的にいえば、個体数の増殖という観点からすると一般に無性生殖が格段に有利であるのに、なぜ多くの生物は有性生殖をするのか、ということである。この問題についての研究はかなり深い歴史を持っており、最近有力とされる説のひとつが「赤の女王仮説」というわけだ。ごく簡単にいえば、有性生殖は遺伝的な組み換えで子孫に遺伝的多様性をもたらすが、これは寄生者の宿主への適応を振り払う意味がある、という説であり、進化に興味を持つ人にはよく知られている仮説である。本書の前半部分では、これらの説に対する学者の見解や実証研究例などがまとめられており、一読の価値はあるだろう。また「性の進化」を論じる理論の多くが群淘汰的な議論をするという指摘はうなずける。
 後半部分はこれらの性選択の説を人間にあてはめて考えており、この本のミソらしい。らしい、というのは正直言ってあまり感銘をうけなかったからだ。首を傾げたくなる例が多すぎたためだろう。一例をあげると、男が女を選ぶときにウェスト/ヒップの比率が最小になるものを選択する、という研究が紹介されている。なぜそう進化したのか?筆者の説では、この比率が小さい人は妊娠している可能性があるので避けられる(ように進化した)、という。ある研究者の説では、ヒップが大きいのは多産の指標であり、雄による選択の結果として進化した。しかしある大きさまでくるとヒップはこれ以上大きくならず、今度はヒップが大きい「ように見える」ようなくびれたウェストが進化したのだ、という。これらの議論はうさんくさく思える。
 このうさんくささは、訳者が指摘するように文化への言及がおろそかなためだろう。進化理論は個体数の増殖という観点から作られているが、人間の形質は本当に「数」を増やすためのものだろうか(筆者は昔にかかった選択圧のrelicとして残っていると考えているようだが・・・)。筆者は、文化や学習というようなものは所詮性選択などの結果進化した本能を正当化するだけのものだ、と一蹴しているが、本当にそうだろうか?現時点では私にはそう信じられない。もっとも筆者も最終章で「本書に記した考えの半分は、おそらく誤りだろう」と認めているので、あまり厳密に考えて読むべきでないのかもしれない。
 最後に、この本は少し読みにくく感じる。それは、各章・節の主張があまりはっきりしていないからだろう。
 少し厳しいコメントが続いたが、人間の進化、とくに性にまつわる特徴の進化に興味を持つ人にとって有益な本だろう。残念ながら、僕の今の興味とは少しずれていたので、あまり感銘をうけなかったのだろう。期間をおいてもう一度読んでみたい。