論理的

 最近、ようやく「論理的」という言葉の意味がわかってきたように思う。ここで話すにはちょっともう、昨日今日の自業自得的所業(=寝不足)でもう書く気力がないが。論文をこれまで断続的に書き続けてきたことで、ようやく自分なりの論理的という言葉の指す意味がはっきりしてきたように思う。惜しむらくはちょっと遅きに逸した感がある。院生時代、遅くとも、学振PDに応募できる年齢のうちに理解しておきたかった思いはある。おかげで今、論理的に考えていなかったD論時代のデータを投稿するときに書き方に苦労しているのだ。
 しかし、たぶん論理の世界だけで生きていたらたぶん僕はもうとっくに脱落していただろう(というか、入り口で蹴られた気がする)。ぎりぎり粘っているのは、生物に対する感情的な部分が大きいだろう。生態学ではそういう部分(=論理性)に関して概して大目なように思う(それが、生態系保全などという感情部分と進化生物学という厳密に力学的なことを扱う部分のコンフリクトを生み出してしまっているのだと思う)。学問として一番論理的なのは数学とか物理学なんだろうけど、まったく生き物のにおいのしない分野に関してはぜんぜん興味がない。
 ところで、一般の人間(多くの研究者[候補]を含め)の多くがなぜガチガチに論理的になるように進化しなかったのか興味はある(前も書いたっけ?)。なんかトレードオフがあったのだろうか。