ヤ○ー知恵袋で「論文の一人称は"私"でいいですか?」という趣旨の質問に対して、「論文で"私"を使うな。論文は客観性だ。お前の意見は求めてないから主観的な表現を一切使うな」というやや高圧的な意見を目にした。
このアドバイスにはまったく賛成できない。分野によって違うのかもしれないが、うちの研究室では自分が観察したものや意見については、どんどん「私」や「筆者」を使ってよい。まったく問題ない。
私はこの現象についてこう考える。
といえばいいところを、わざわざ
この現象についてはこう考えられる。
と書いて、かえって誰がそう考えているのか曖昧になることがある。おそらく古い文献の表現を真似ているのだが、私は主語が明確なほうがよいと考える。
この最後のアンダーラインを
主語が明確なほうがよいと考えられる
に変えると、その「考え」が一般論なのか私の持論なのか少し曖昧になる。初稿段階の「・・・と考えられる」の多くは意味がなく、削除可能であると考えられる。
私の記憶では、一人称の問題については『理科系の作文技術』(木下是雄、中公新書)でも同じようなことが議論されていたはずである。
一応言っておくと、全ての文を「私は」で始めろという意味ではなく、どんな表現であれ意味が明瞭なら何の問題もないと思う。とはいえ、実際の原稿はなかなか教科書どおりにはいかないから難しい。
・・・にしても、なんであの知恵袋はあんなに高圧的なんだろう。相手がどんな分野かも知らないのに。