呉


 いつか行かなくてはと思いつつ、広島県の呉方面にはまだ行けていない。(もしかすると調査で通過したかもしれないが、記憶にない。)山陽道からかなり離れたところにあるので、「行くぞ」と思わないかぎり、なかなか行かないところである。

 呉を始めて知ったのはたしか中学地理の時間で、「因島や呉では造船業が盛ん」という内容だったと思う。しまなみ海道があるおかげで、因島には行くことができたけど、呉はまだだ。
 造船業が盛んというよりは、そもそも軍港だったということはずっとあとで知った。戦艦大和が作られたのがそこだということは、さらにもっと後で知った。ぼくは軍事にはとんと疎いのだが、大和ぐらいは知っている。「呉には海軍基地があったから造船業が盛ん」と因果関係をいってくれたほうが覚えやすかったのにと今にして思う。

 ところで、近所の歯科には戦艦大和の模型が飾っている一方で、新聞は赤旗であるのはちょっと不思議な気がする。きっと先代が大和の生き残りだったんじゃないかとぼくはひそかに思っているのだけど、本当はどうなんだろう。赤旗誌は以前戦艦大和の映画を絶賛していたらしく、ぼくにはちょっと意外な気がする。