飲み屋で誰かをお待ちしていたのに、だれも来なかったでござる。
あれだけいたら、誰かは来るやろと思っていたのに。
まあ、約束しなければ、誰も来ないのは道理かもしれないけど。
JR三宮東口の味兵衛、地酒福寿と焼き鳥が大変美味しかった。満喫しました。
明日はポスター発表を聞いて、四国に帰ります。
またどこかでお会いしましょう。
飲み屋で誰かをお待ちしていたのに、だれも来なかったでござる。
あれだけいたら、誰かは来るやろと思っていたのに。
まあ、約束しなければ、誰も来ないのは道理かもしれないけど。
JR三宮東口の味兵衛、地酒福寿と焼き鳥が大変美味しかった。満喫しました。
明日はポスター発表を聞いて、四国に帰ります。
またどこかでお会いしましょう。
たまには絵本を読み聞かせてよと言われるのだが、どれも面白くないしオチがない。
個人的にはモチモチの木などが好きだが、まだ年齢的に少し先だし、いま買い与えたら紙をくしゃくしゃにしてしまうだろう。
しかたなく、手に持っていた文庫本でも読みあげることにする。
「金田一さん、これが千万太の妹でな、月子、雪枝、花子。年子じゃて……」この美しい三輪の狂い咲きを見たとき、金田一の背筋にゾーっと冷たい戦慄が突っ走った……「ああ、俺は死にたくない……帰らないと三人の妹たちが殺される……行ってくれ金田一……俺の代わりに……」千万太はそこまで言ってがっくりと息絶え
ヨメがすっ飛んできて本を奪うのである。
かくて、風船がお空を飛んでいるような本でも読むしかないのである。どうすればいいのだろうか。
(再掲)
書類仕事というのは私の能力を殺す最高の方法だと思うのだが、まあそうはいっても組織ではそれをやらなきゃはじまらないわけで、毎年度末にはいろいろ苦労するのだけど、とくに今回のミッションはなかなかタフであり、これまで経験したことのないような未曾有の事態に置かれている。この事態を打開するためには社会的ニーズに応える画期的・革新的創造的なイノベーションにより地域から社会へ、また社会から地域へといった公的パブリック・ユニバーシティ・プロジェクト(PUI)の推進であろう。書類の余白が多すぎるという憂うべき現状において我々が取り組むべきミッションは単なるサイエンティフィック・ペーパー・ライティング・タイム(SPWT)の拡充よりもむしろビューロー・ライティング・タイム(BWT)へのパラダイム・シフトへの脱却として認識することが可能であろう。ビューロクラシーのスパリオリティーを最大限に活かすことが現代社会に求められる最大の責務であり、また組織理念上のマキシマイズすべき項目となると考えられ、実際にそのような取り組みがさまざまな公的機関で行われていることは一部の議論はあるものの評価すべきではないかと思われる。また事務員さんとのソーシャリティ・コミニュケーション・スキルを最大限に発揮することにより省略できる書類があったりするのでここは意外と侮れない。ただ個々人は改行すらおぼつかない、ランダマイズにセル結合されたエクセル書類の余白を淡々と埋めるしかないという現状を甘受するだけではなくそれを次世代に伝える、いわばヒューマン・タイプ・次世代伝達プラン(HTNTP)の構築を社会的に継続することが重要であることは言うまでもない。このような画期的な取り組みをすることにより組織はアウトデイテッドな方向へ推進することができるだろう。
いかん。もう限界かもしれん。
(再掲)
昔の自分の原稿を書き直しているが、いつ果てるともしれない長期戦になっている。とにかく延々と長いのをほとんど切り捨てている。
簡潔な文章を書くように心がけてはいるが、それは僕には難しいとわかる。とにかく同じようなことが手を変え品を変え何度も出てくる。これを実生活にあてはめてみると、老後はとてもいやがられる爺になりそうで本当に怖いのである。
(再掲)
遅くなりましたが、今年もよろしくおねがいいたします。
去年は息子も生まれ、論文も出版することができ、慌ただしくも充実した一年だったと思います。
今年は遅筆を直さないといけません。日頃の雑務の中ではあまり気力が続かないので、毎日何時間と決めてコツコツ書くタイプです。この方法は確実に執筆が進む反面、途中で当初の興奮が冷めてしまうことがあり、そのようなときは筆も進まないし、私の感動や面白いと感じた点があまり伝わっていないのかなと感じる時もあります。面白い発見は出ているので、もう少しスピードアップを計りたいところです。
あわせて、このブログの位置付けを考えないといけません。開始当初に比べて置かれている立場やSNSの普及などの事情が変わりすぎました。少し中途半端になっているようです。おカタくなりすぎているということです。
(再掲)
10月です。
これはもう、誰がなんといっても10月ですね。○ねばいいのに。
科研の申請書が一向にはかどらないし、どーせ受からない(出さなかったらペナルティ)と思うと、この涼しい季節に論文原稿だってもっと書けるのに、という泣き言の1つや2つも言いたくなるわけです(締切に追われる作家にならなくてよかった。ああいう人たちはこういう書類もすらすらと書けちゃうんだろうね)。
とはいえ、毎年懲りずに少しは期待するもので、いろいろリサーチはしてみるわけですね。でもさすがに15年(学振含む)もだめだと、申請書を書く能力がないと言わざるを得ません。モチベーションの低下から、今年はまだ完成すらしていません。完成させるかどうかもわかりません。
私の人生は別の方向で学術に貢献できればと思っています。今生で周囲に理解されるのは諦めています。
(クソー、通りたいなあ。)
PS
申請書より(普通の)論文のほうがずっと簡単ですね。
難易度: 採択される科研の申請書 = 一流誌に乗るような優れた論文原稿
(思い込み)
コムラサキ 2018.10.19, M植物園
去る9/27、サルバドール・タリが亡くなった。新聞のベタ記事で読んで一瞬固まった。
寺山修司の実験映画群の主力俳優であり、『田園に死す』では兵隊バカ(←役名)を好演した。『田園』のラストシーンは三上寛の名台詞とともに、度肝を抜く仕掛けで青年時代の私の心を鷲掴みにした。
『田園』がプログラムにあったかどうか覚えていないが、京都のみなみ会館で短編映画集を観たのを思い出す。
いまは youtubeでそれらの映画を見ることができる。時代は変わったのだ。
そしてサルバドール・タリは wikipedia にも項目はない。
このまま記憶に残る俳優の一人として埋もれていくのだろう。この時代の俳優たちは、そのほうが格好いい気がする。