シュールである。
新聞のコラムに大きく書かれると目を疑う。
元土佐藩士が編纂した藩政史料によれば、清少納言は大学の裏のI集落で亡くなったという。
同地区の名護神社はそれを祭っているというのである。
なごの谷といへる所を往昔清少納言の世を住果せし所ゆへによりなごの谷といへり
(なごの谷は大昔、清少納言が一生を終えたため、なごの谷という)亡きあとをなご大明神とも祠ひ祭れりと
(亡くなった後、なご大明神として祭ったという)
「せいしょうなごん」→「なごん」→「なご」
ちょっと無理があるんじゃないかなあ。
私がこれまで聞いた話を総合すると、
邪馬台国は土佐山田にあり、足利尊氏の墓は県西部にあり、そして清少納言は南国市で没した。
いにしえは、なかなか賑やかな土地だったのかもしれない。