不具合

 毎年毎年、受験生(と大学教職員)には本当にお気の毒としかいいようがない。個人的には、リスニング試験はすぐにでもやめるべきものだと思う。センターでやらなければいけない理由がさっぱりわからない。これまで(というか、私のとき)のとおり、個々の大学がそれぞれの教室で試験を課せば十分なのではないか。どこからか強い要望があったのだろうか。教養科目(という言い方は古いのか)でやればよいのではないか。
 
大学審議会の答申(2000年)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/daigaku/toushin/001102.htm
 
および、Benesse のインタビュー記事
http://benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2004/02/02shin_02.html
 
がまだweb上に残っていた。しかし、どちらを読んでも、いまひとつ納得できない。とくに答申については言いたいことが多い。随所でリスニングについては触れられているが、直接の理由になっているのは以下の点しかないように読めたのだが。

現在,高等学校の外国語教育において実践的なコミュニケーション能力の育成等が重視され,また,大学教育においても国際舞台で活躍できる能力の育成が求められている。このような状況を踏まえ,各大学の個別試験においてもリスニングテストの導入が図られてきているところであり,今後ともその推進は必要である。ただし,個別試験に外国語を課さない大学・学部等もあるので,各大学に提供する受験生に関する能力・適性等の情報の充実の観点から,大学入試センター試験においても早急にリスニングテストの導入を図ることが必要である。

 論文だったら根拠薄弱でリジェクトですよ。本当にこんな「理由」で推進したの?と問いたい。
 
 インタビューにしても:

――03年度新課程では「コミュニケーション能力の育成」という視点が強く打ち出されていますが、これもそうした時代背景を反映したものというわけですね。
そうです。そして、「コミュニケーション能力の育成」を掲げた以上は、実際にその目標が達成できたかどうかを測る指標が必要です。大学受験者の多くが受験するセンター試験は、その意味で最適な場ではないかと思います。

 
 ほ ん と う か ?
 
 まあ、ともかく「コミュニケーション能力」が育成されると期待されているようです。私は、受験生にヒアリング対策の模擬試験の負担が大きくなるだけだと思いますが。繰り返しになりますが、個々の大学がそれぞれの教室で試験を課せば十分なのではないかと思う(「コミュニケーション能力」の育成も個々の大学でやるということで。英語のコミニュケーションが必要な場合があるのは認めるが、センター試験マークシートで達成度を計られるものじゃないと思う。こういうときの達成度って実は文部科学省の達成度?)。
  
 しがないポスドクの身としては、「もうあまり大学をいじらないでくれ」と心の中で祈るのみです。