日ごろ、仕事の文章は最節約的に書こうと思っているのだが、どうも普通の人間の思考というのは最節約的にはできていないようで、油断するとすぐ冗長になったりくどくなったり同じことを何回も言ったりする。たいがいの人はそうだと思う。でもどうしてそうなっているのか。常に完全に最節約的に考える人間のほうが一見有利なような気がするが、そういう人が社会の中でむしろ少ないことについて進化的な理由を知りたい。もしかすると性選択がはたらいたのだろうか。あまり最節約的な思考をしてそのように話すと、理屈っぽい野郎として、異性とか所属するグループの構成員からあまりモテなかったためかもしれない。仮にそうだとすると、なぜそういう人に人気がないように多くの人が考えるようになっているのだろう。最節約的思考のコストとか、個人レベルと社会レベルの適応度の視点から考えていくと、意外と面白いかもしれない。
 国のトップに愚か者が多いのも同じ原理で説明できるだろうか。トップが愚鈍なほうがグループレベルが安定する、という状態が安定平衡点なのだろうか。どこかの府知事のやってる急進的な改革は安定平衡点になりえないのじゃないか。計算上では彼の言っていることはもっともなのに、なぜ(たぶん)うまくいきそうにないのか。彼の考えていることはきわめて最節約的だと思うのだが。つまり、社会構成員の感情がどう進化してきたかという問題につながる。書いてて自分でもよくわからなくなってきた。
 
 ライトトラップとバーベキューから帰って考えることじゃないのかもしれん。ちょっと時期が早いかね。ヒトリガ、コケガとか蛾類多い。蛾は普通種ですらわからん。大物ではオオミズアオがいたくらい。僕らは日帰り組だが、飲ま飲まイェイしている連中は今時分、もっといいもんをつかまえているかもしれない。