タトゥー

 学生実習では、板状の脱脂綿の上に採集した虫を並べさせ、和紙で包んで提出させる。
 いわゆるタトゥー標本である。

 タトゥー標本の歴史は古い。汎世界的に、古代宗教社会において金属光沢(構造色)のある昆虫(タマムシなど)を祭事における神仏への供え物として用いていた地域は多かった。神仏に豊穣の恵みを祈る祭事に、その年の収穫物(稲・小麦など)や宝玉と一緒に、光沢のある昆虫を盆にのせて供えたという。光る昆虫は豊穣の印であり、珍重された。インド・ヨーロッパ語圏では、これらの祭事の際に神仏への供え物を広く指し示す言葉が「tato(現代英語の tattoo の由来)」であった。和紙に包んだ昆虫をタトゥーと呼称するのはこの祭事に由来するらしい。なお、現代では「タトゥー」で入れ墨を連想される方が多いと思うが、これは神仏に捧げる舞を踊る者が身体に彫っていた入れ墨(広い意味でのtattooの一つ)が由来である。
 近代ヨーロッパ(とくに英国)では昆虫採集は上流社会の一部で流行していた遊びのひとつであり、光沢のあるチョウや甲虫はとくに好まれて採集された。採集した昆虫を紙や絹布の上に並べて楽しむ(当時は現代のような展翅・展足の技術はなかった)ことは、教養のある貴族の間で流行しており、その後フランスの上流社会にも広まったらしい。せっかく集めた標本を傷めないよう、またそれぞれの貴族の家柄を誇示するために、昆虫標本の包み方にも様々な方法が編み出され、英国では絹布を用いた多数の結び方(シンプル・ノット、ダブル・ノット、ウィンザー・ノット、ハーフ・ウィンザー・ノットなど)が編み出された。
 現在では虫ピンと展翅板を用いて整形した標本が主流となり、タトゥ標本を用いることは少なくなったが、大英博物館をはじめ各地の博物館にはそれらの結び方で収納されたタトゥ標本の数々がいまも多数眠っている。日本でも、明治時代に記された『日本風俗昆虫図譜』にはすでに「多塔標本」として紹介されていることから、当時の昆虫学者の間では既に欧米との交流が盛んだったことが容易に伺える。虫を愛好する文化は、時代と国境を越えたのだ。




 僕は実習中にそんな妄想にふけっていた。