TVを見ていたら真面目そうなおじさんが奇妙な方程式を紹介していた。

富+願望=選択

「ペアレントクラシー方程式」というのだそうだ。そんなものがあるのかいなと思ってgoogle検索したらpdf一件しかヒットしない上に、TVで解説している本人じゃん。

・・・ブラウンによれば、人材の選抜は「能力+努力=業績」と
いうメリトクラシー方程式ではなく、「富+願望=選択」とい
うペアレントクラシー方程式に沿って行われます。つまり、
選抜は本人の業績に基づくのではなく、富を背景とした親の
願望がかたちづくる選択次第となる、というわけです。
 先の調査で明らかなように、親の富(学校外教育費支出、
世帯所得)と願望(学歴期待)が子どもの学力を規定してい
る日本社会もペアレントクラシーへの道を歩みつつあります。

(本文を読むと、どうやら「選抜」とは社会(全体)が人材を選抜するという意味で、「選択」は個々人の進路のことを指すらしい。)
 
 しかし、足し算はないんじゃないか。すくなくとも「親の富」「親の願望」「子供の願望」「子供の能力」の方程式になっていないとコマが足りないんじゃないか。だいたい「メリトクラシー方程式」と「ペアレントクラシー方程式」は全然次元が違う話じゃないか。どういうことだブラウン。名字はチャーリーか!責任者出てこい!(すこし酔っています。すいません)
 
 ここまでを整理すると、関数として

社会の選抜 = f(子供の選択)

となり、さらに

子供の選択 = g(親の富, 親の願望, 子供の願望, 子供の能力)

となるわけだ。・・・そのうちカツラは考えるのをやめた。
 
 かさねがさね、足し算はおかしい。「富→∞」のとき、願望がゼロでも「選択」値は最大化されるのだろうか。逆に、「願望→∞」で富がゼロのときも同様に「選択」できるのか。「富→∞」かつ「願望がゼロ」だったらニート一直線だと思うし、逆は成金志向だろう。全然おかしい。
 
 だいたいこれもヘンな気がする。

「能力+努力=業績」というメリトクラシー方程式

 この仮定からは次のことが導かれる。

(1)能力が∞のとき、努力はゼロでも業績は∞である。
(2)努力が∞のとき、能力はゼロでも業績は∞である。

 研究生活に照らし合わせてみると、完膚無きまでにおかしい。せめて積にしようよ、となる。
 
 自分があほらしくなってきたのでもうこれで終わるが、これで21世紀C○Eか、と少し愚痴りたくもなるのです。それとも編集が失敗しているのか?社会学はわからん。