TREEの最新号(Vol.20:9)に"Evolution of phenotypic plasticity: where are we going now?"(M. Pigliucci)というのがある。じっくり読みたいのだがなかなかしっかり読めない。目にとまった部分(pp.485右"I suggest"以下)を意訳(超訳)してみよう。

 なんていうかさ、無駄なテーマで研究しているヤツっているよね。たとえばさ、「phenotypic plasticityの遺伝的基礎は〜」とか言っているヤツ。なにが言いたいかわからんっての。こういう奴らはさ、ちゃんと特定のphenotypic plasticityを材料にしっかり分子的基盤を研究している人に追い落とされる運命にあるのさ。
 あとさ、よくいるじゃん。「遺伝相関とphenotypic plasticityの関係が云々」っていうの。いや、俺だってね、そういうの調べるのが役に立たないなんて言ってないよ。言ってないけどさ、そういう研究って相関出してオシマイになっているように見えるんだよね。
 あとさ、「phenotypic plasticityの遺伝分散があるかないか」とか言ってるの。もう見てらんない。いや、概念的に問題あるとか、そういうことじゃなくて、もうそれははっきりしているってこと。「phenotypic plasticityの遺伝分散はたっぷりある」。はい、オシマイ。

 こうもナデ切りにされた者としては一応反論したい。「うるせーよ馬鹿大きなお世話だ統一的な学問の進歩に目を奪われておいでのようです。個別の生物の生態を理解するにおいて、遺伝相関や遺伝分散を適用して個体群動態や生活環の変化を類推することは重要だと思う。でもそういうことを行っている例というのは非常に少ない。確かに分子メカの理解も必要だが、それと同時に、そこから生じる個体の表現型レベルの「相関」がどのように個別の個体群動態や生活環に影響を及ぼしているかはいまだに多くの生物にとって興味ある問題で、分子研究や理論研究と共同で行うべきではありますまいか。」
 
 しかし、まだ全部ちゃんと読んでいないのでこれは早とちりの反論かもしれない。