笑顔に敗北

まっ黒いスーツしか持っていないので、もう少し明るい色のを買うことにする。新しい店でキレイなのはよかったのだが、店員さんが愛想よすぎて辟易した。どうも愛想よすぎるのはかえってうっとうしい。店に入ったとたんにトルネコの敵キャラのように店の奥からワラワラ沸いてきて、満面の笑顔攻撃をしかける。
 頭の中で思考がカオス的振動をする。「本当そこまでしなくていいですからも私は就職もきまらないただの凡庸な院生ですからほっといてくださいそんな丁寧な言葉遣いいらないですから貴方だって見抜いているのでしょう私がつげ義春と太宰を好むことを」。どんどん自分が小さくなっていくのがわかる。
 魚市場のようにねじりはちまきのオッサンが「今日はイカのいいのが入っているよ!2はいで千円もってけドロボー」くらいの荒々しさのほうが私には心地よい(いや、紳士服でそれをやれとはいわないが)。
 寸法を測ってもらっているときも営業トークがとまらない。もうやめてくれ。孤独の美学を持っている俺に何をそんなにベラベラベラベラと。仕立てのサイズを決めるときも「お太りになられるご予定はございませんね?」知るか!
 
 完全に向こうの作戦にはまり、予算オーバー。してやられた。いいカモだ。麦茶なんぞいらない。玄関まで見送りに来なくてもいい(「またネギしょっておこしください」と言っているような気が)。引き取りの時は、決して相手に目をあわせないようにしよう。そして独り言をブツブツ言って相手の笑顔攻撃をガードしなくてはならない。