紹介 石の花(1)

 

 坂口尚をリアルタイムで知っているわけではない。学生寮の本棚にあったような気がするが定かではない。安彦良和の『虹色のトロツキー』と混同しているかもしれない。ただ、たしかにどこかで出会ったはずだが、当時の僕には難しかったし陰鬱な話なのでそのまま忘却していたのだろう。

 早いものであれから30年近くがたとうとしている。Twitterを通じて、今回の復刊で大判で読めるという情報を得て取り寄せてみた。ページをめくってまず気づくのはダイナミックな絵柄である。止め絵が上手い作家は多いが、本作は登場人物の動きや躍動感がコマごとに鮮やかに感じられる。それもそのはずで、作者はアニメの仕事に定評があったらしい。動きのある絵や演出はお手のものというわけだ。また、登場人物の心情表現も墨ベタの強い陰影やカラスなどのモチーフなどを使って巧みに演出されており、映画を見ているような感覚になる。冒頭、静寂な森の小径で主人公クリロ少年、ヒロインのフィー、フンベルバルディング先生が淡々と会話しているときに、クリロがぽんと放り投げた枯れ葉のかけらが空に激しく舞い上がって龍になり、黒雲を切り裂いていく場面は何度も見返したくなる躍動感がある。

 話が前後するが、物語の舞台はナチスドイツに占領されたユーゴスラビアで、離れ離れになったクリロとフィーの歩みを中心に描かれる。ナチス占領下の話ということで、文字通り悲惨な話というしかなく、読みすすめるのが辛い場面もある。それでも、クリロのフットワークがとにかく軽く、冒険活劇のような面白さが失われていない(それだけにエグい部分までつい読んでしまう)。

 本書の最後ではナチ将校の邸宅でクリロ、フィー、クリロの兄が運命的な出会いをするのだが、そこで衝撃の真実が明かされたところで一巻はおしまい。

 冒頭の「教会のような」石の花、鍾乳石がなにを暗示しているのかは、続刊で明らかになるのだろう。読み進めるのが楽しみである。

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