♪あのころの未来に僕らは

 オーバードクターの身なのである。話には聞いていたが、これほど精神的にしんどいとは正直、思っていなかった。
 
 ポスドク採用後に、実弾(業績)が足りなくて「やめるかも」という人が周りに何人かいる。これは正直萎える。つくづく「促成栽培」「最短距離」が求められているのだと感じる。私のように回り道をして、少し頑固なアプローチをしているとインパクトも薄いし、華やいだ領域が羨ましく思える(最近では分子と生態の融合であろうか)。となりの芝生がぼうぼうに茂っているように思える。今日のミーティングでも、「そのアプローチは見込みがあるのか?」「『差がない』ということが果たして論文になるのか」ということをコメントされた。もっともな部分はある。しかし、これは面白いと思ってやっているのだし、やった以上は書かなくてはいけないと思う(それには明らかに意味がある)。
 どうも私の周囲には私のやっていることの理解者が少ないようである。つまり、私のやっていることはどちらかというと行動生態学の言う「制約」とかコストに関することである。普通行動生態の分野では、コストとベネフィットのバランスでモノを考えなくてはならず、「休眠性」というのはこの両者の峻別が非常に難しい、というのが博士研究の中でよくわかった(in preparation)。さらに選んだ材料がどうも目的から言ってアレだったかもしれない。それを助言してくれるような人が近くにいなかったことは残念だった(いたのかもしれないが私自身がそれを理解できなかったのか)。
 
 どうもグチになってしまった。自分のやりたいことをさせてもらった、という点ではこの環境に甘藷*1、もとい感謝している。方々で噂に聞く上からの嫌がらせも、私に関してはここに来てからは全くなかったと言っていいだろう。来年度は、うちの研究室で科研支援員(?)の採用をしてくれるかもしれないとほのめかされているので、当座はここにいようと思う。ただ、研究の過程で、自分の「守備範囲」がわかってくると、そして私がスゴイと思っている先輩たちが公募で連敗していた話を聞くと、転身も大いにアリかなあ、ということを考えたりする。そしてその頻度は最近とみに増している。
 
 電話で話す友人がいることは幸いであった。気分が少しは晴れるものだ。
 
 どうも今日は考えが散逸している。こうして今日もなかなか眠れないわけだ。だが、研究を続けた人もやめた人も、同じことを考えたのだろう。今日はニール・ヤングでも聴いて寝ようか。

*1:サツマイモのこと。ここではタイプミスによるものである。徳川吉宗の時代に青木昆陽救荒植物として普及させた。高系14号・紅赤・紅あずまなどの品種がある