コマセをまくんじゃない

 昨日防波堤釣りに行ってきたのだが、浮き釣りのおっちゃんたちはちょっと釣れないとすぐコマセ(撒き餌)をパアッ、パアッと撒く。醜い。
 もし周の太公望渭水での釣りでコマセをパアッ、パアッとまいていたら、果たして文王は彼を軍師に迎え入れようとしただろうか。「なんちゅう浅はかなヤツや」といって素通りしてしまったに違いなく、暗黒の殷王朝が長く続いたかもしれぬ。しかも、彼の使っていた釣り針はカギ状ではなくまっすぐであったとか。しかもそれを水面にすらつけずに空中に浮かせていたとか。それでこそえらいのだ。高貴なのだ。スノッブなのだ。
 浮き釣りでバケツいっぱいのコマセをまくのはみっともない。およしなさい。港の水も汚くなるし。まして、コマセカゴ+サビキの組み合わせは圧倒的に醜い。これは漁そのもの。いやらしい。釣り針の近くにオキアミを入れたカゴを入れて魚をおびきよせて疑似餌に食いつかせようという奇矯な振る舞いは一体誰が考えたのだろう。漁は漁師にまかせよ*1
  だいたい、たかだか防波堤の釣りでコマセをまくような人はたぶん我慢ができない人なのだ。釣れない時間になにが釣れるか妄想して楽しむことができないのだ。釣りの真の価値を楽しめない人なのだ。そういう人は釣果という目先の損得に目がくらんでおり、モンスターペアレントホリエモン村上ファンドを礼賛するのだ、コマセをまく人こそ金満日本の権化であり、日本をダメにするのだ。とまではさすがに言わないが。どうせたいした釣れないのに高見盛の塩じゃあるまいし、パアパア撒くんじゃない。防波堤でなにが一番大切かを見失ってはいけない。それは港湾機能の保護である。釣果ではない。
 男の浪漫は遠投にあり。どこまで遠く飛ばせるかこそ人生の勝負。根がかりで仕掛けをなんども失っても、ゼロからもう一度やりなおせばいい。力一杯投げれば、ボウズであってもなんら後悔することなしである。結びが甘くてオモリだけがひゅーんと悲しく沖合に飛んでいって切なさを感じるもまたよいものだ。ひとたび投げてしまえばあとは昼寝でもしていればよい。浮き釣りのようにせわしなくない。ちなみに昨日はイカ釣りのエギングだったので、せわしなかった。
 しかし浮き釣りは面白そうなのでこんどやってみようと思う。

*1:ただし、醜いとはいえ、コマセ+サビキは強力であり、群れに当たればたちまち入れ食いとなり非常に気持ちがよいことは確かである