ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

感想:ドーキンスとグールドの主張の共通点・相違点を簡潔にまとめた読みやすい小論。結論は私が思っていたのとほぼ同じだと感じた。
 グールドはよくトンデモ本の「ダーウィニズムは間違っていた」という主張に援用されるが、この本に書かれているようにグールドはダーウィンが提示した自然淘汰のメカニズムそのものを否定しているわけではない(というか、なんかのエッセイでは自分はダーウィンの信奉者だと書いていたような記憶がある)。ただグールドは、進化生態学の研究者の考え、すなわち「適応度の高い者が生き残っていく」という過程で徐々に生物のつくりが変わってきた(進化した)、という考えは純真にすぎると考えている(おそらく分子発生学者はそうだろう)。彼の考えでは、生物の基本的な体制というものは、異質な体制が古代に爆発的に生じ、それらが大量絶滅する中で偶然に選ばれた結果にすぎないという(断続平衡説)。そんななかで、適応度の些細な差など何の関係もないのだ、という。
 ただやはり、この二人の守備範囲というか、興味のある点が違いすぎるのだろうと思う。グールドは体制の大いなる変化に興味があるが、かたや遺伝子レベルの相互作用の視点で(延長された)表現型を見ているわけで、形態の複雑さという点はあまり重視していない部分があり、まったくかみ合わないような気がしていた。この本ではそれらをうまく折衷してまとめている。おみごと。
 オラの考え?

 うーん。

 たしかに体制の変化に関しては、グールドのほうが説得力あると思うデス。体制の大きな変化を説明するにはやはり遺伝子と発生の関係をつきとめなきゃならないと思います。たしかにね。この点に関しては、オラのやっているローテクな研究は無力だと思います。
 ただ、オラは小進化も十分面白いと思うし、小進化から大進化(体制・構造の大きな変化)に至るかどうかは結論が出ていないと思うので、それらはとりあえず(rule-of-thumbで)同じ列に据えるべきと思うデス。。だから遺伝子の「頻度」の変化(=量的な変化)で進化を語ることには、私にとっては意味があると思うです。
 加えて、個体レベルの「変異」を扱えるのがローテクな生態学や行動学研究の醍醐味だと思うです。たいがいの場合遺伝子の利益と個体の利益(個体群の利益も!)は同じになりがちなので、この点ではドーキンスと意見を一致するはずです。個体レベルの適応度というのは、小進化を説明するのに便利な概念だと思うです。
 すると「進化の研究の何が面白いのか」という根元的な話になってくるのだが、もう眠いのでやめます。
 
 かなりたくさん書いたんだけど、すでに酒がまわってまとまらなくなったので、切りつめました。いま考えたけど、この二人が人気があるのは、この件(進化)について自分の考えをベラベラしゃべりたくなるからなのかもしれない。それがby-productとして多くのトンデモ本を産むわけなのかな。

 この本の話にもどると、ときどき変な訳があるのは愛嬌だろう。「遺伝子がタンパク質をコードする」とかね。