さくら

囲碁番組のあと、テレビをつけっぱなしにしていたらアニメ映画が始まった。最初の放映から「なんか色々やばいなあ」と思って敬遠していたあのコスプレ少女は、今や凄いものと戦うようになっていた。

録画ボタンを押してみた。

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(再掲)

 

さらば鹿児島

駅前でかるかんも買って、もはや思い残すことはない(ざぼんラーメンだけは食べられなくて残念だが、またの楽しみだ)。お世話になった先生方の去就の話を聞くと、時間というラチェットが回ったことを実感する。わたしの世代の責任も出てくることを感じたが、あまり意識しすぎてプレッシャーにならないように息長く頑張りたい。

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キャンパス内に植物園ていいね。

 

プレゼンの出来

(おことわり:以下に有益な情報はありません。申し訳ない。)

 明日のプレゼンの準備をしようと思うのだけど、心に移り行くよしなしごとが多すぎて、まったく身が入らず、最小限の修正をしただけであとは成り行きにまかせることにする。こういうときはベッドに横になって落ち着こうと思っても、あまり思考が収束しない。邪念をゼロにしようとしてもなかなかうまくいかない。そういえば、お笑いグループのコントで「邪念がゼロになったらボタンを押す」という内容があって、深い感銘を受けた(= 笑った)。

 わたしのプレゼン・論文・申請書のわかりにくさは、もう前世でなにかの業(カルマ)を積んでしまったのではないかとしか思えないほどである。ときには人を不必要に苛立たせたと思う。そうするつもりはなかったのだけど、結果的にそうなってしまう。これは至らぬ点で申し訳ない。

 わたしのプレゼンや文章はいつかよくなる、と信じて、「わかりやすいプレゼン」「これでバッチリ、あなたの文章」「絶対とおるよ貴方の申請書」みたいな本を読みながら20年たったが、わたしの書くものは私の支離滅裂な思考体系を体現してして現れた実体であるので、諦めて自分の長所であるところを伸ばすしかないのだと悟りつつある。ただし、その"長所"は多くの人が共感しない部分であろうということも感じている。

 ただし、僕が以前に作ったプレゼンや論文の抜粋は、学生用に「こうやったらわかりにくくなる」という教材として使えているので(皮肉にも学生には好評である)、そういう意味ではなんらかの意味はあったのかもしれない。あの頃よりはマシになっているはずである。

 

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(再掲)

 

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論文雑感

論文の評価がスプリットする原因というのはもちろん論文自体の出来ということもあろうけど、先日書いたような共感の度合いなんだろうと思う。ここらへんはこちらの頑張りだけではいかんともしがたいこともある。でも頑張ろう。

そう言えば先日なにげなくwebの○×アンケートをやってみたら「自分は感情的であり、論理的ではないことを自覚しなさい」みたいなことが書いてあってけっこう凹んだ。うん、よくわかるわ。いま作っている学会発表の中身も散らかっているもの。もう事前にごめんなさいっていっておく。懇親会開けの朝一なのにすみません。実は初かな。この時間帯。

 

先日、大変うれしい受理通知が届いた。院生のテーマで、大変苦労していたので感慨深い。発想の起点になったのは、卒論で結果がでるはずだったのに、いっこうに傾向が出なかったことである。正直なところ、あの時はここまで研究が育つとは思っていなかった。彼の行動力の勝利だと思う。学生にはいろいろと教えられることが多い(実際、彼らの独自テーマのほうが良い雑誌に掲載されている)。その内容はいずれここでも紹介します。ちょっとびっくりですよ。

 

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また別刷りが届く。なんでそんなに書けるのか不思議。

事実?

 ライティングの本では事実と意見の違いをはっきり区別して書きなさいというけど、よくよく考えるとその境目はあいまいで、どこからどこまでを事実として認めていいものかどうかよくわからなくなる。論文を書くときには気を使っているつもりでも、指摘されてみると確かに事実とは言えないかもしれないと考え直すこともある。論文の審査では、これらのちがい(事実か意見か)という見解がミシミシ音をたてている。「それは事実でしょう」「いや、単にあなたの意見でしょう」という具合である。
 天動説が正しい時代には、天動説は十分な根拠がある"事実"として扱われたのだろうが、現代では天動説に立つ人は相当少ないはずである。ただ、天動説に立つ人に「貴方の立っている地面は存在しませんよ」と言っても無駄だろう。こういうのはお互い様であり、私のそもそもの立っている地面が実は存在しないのかもしれない。異なる地平に立つ者どうしで議論を交わして共感することの難しさよ。

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 エフ君が置き去りにしたサブテーマであるナナフシの孵化について、そのラッシュが始まっており、データとりが地味に面倒である。でも地味なことをダラダラ続けるのは嫌いではなく、むしろ好きなほうに入る。一方で、短期集中というのが年とともにますます下手になっているような気がする。
 私の分野では、意外とこういうダラダラとしたデータが発表されてなかったりする。研究材料としての節足動物の利点の一つに世代期間が短いことがあるが、長々とデータをとるというのはその利点を生かしていないということなのだろうか。それとも、データはあるのだが、長々データをとっているうちに執筆するモチベーションが失われてしまうのだろうか。後者はおおいにありそうだ。まとめるのもめんどくなるし(データが増えると解析も増えるよね)。いずれにせよ、せっかくとったデータは、とにもかくにも原稿にして、まずはどこかに投稿してみませんか、ということ。
 あ、今日のデータとりを忘れてた。遺憾。

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やっぱりマウスで描くより紙のほうがいいか。

 はてなダイアリーから、はてなブログに移行しました。Webアドレスが変わりましたが、旧アドレスのままでも自動的にこちらに転送されます。引き続きよろしくおねがいします。

  ブログの更新日は何かを書きたい日で、よほどやる気がでているか、もしくは愚痴りたい日なわけで、そういう愚痴がたまたま続くと普段からよほどひどいメンタル状態で仕事をしているのではないかと思われるのだが、平素はとくになんということもなく、徒然なるよしなしごとを書く気も起こらず過ごしているわけです。

 産科でお世話になった看護師さんはシャキシャキしていて、ハッキリものを言うので、私ももう少し職場ではキビキビ、シャキッとしなくてはならないなあ、と思ったことよ。

 なんかパッとしないし、ヨガや瞑想でも練習してみようかなあ、と思って本屋でも探してみるけど、私が心より軽蔑申し上げる○○や○○の本のあたりにそういう本があるので困ってしまう。

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MLから流れてきたM中さんの「いちおう最終講座」の「研究者は職業ではなく人生です」というのは響く言葉でした。何回か読み直しました。

さて、私事ながら先日父親になりました。お酒を控えなくてはね。



(再掲)

高知の意外といいところは、数時間で岡山に行けるというところではないだろうか。岡山の山間地は研究材料のサンプリング天国、温泉天国、そして何より、地酒天国である。
 

 
……っていっちゃあ呑むんだからね。